ゆっきいDAYS

関西各地へのツーリングやバイクのことなどを書いていきます

當麻寺 ツムラのルーツ 伝説のお姫様(奈良県 葛城市)


漢方薬メーカー大手のツムラ。かつては入浴剤のバスクリンでも有名でした。

今回のツーリングで訪れた當麻寺(たいまでら)は、ある伝説からツムラのルーツとも言える場所で、意外な歴史に驚かされました。

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■見どころの多い古刹

この日もホンダCBR650Rで快調に走ります。国道165号から東に入った参道の突き当りに東大門(仁王門)があり、ここから境内に入りました。

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東大門(仁王門) 近鉄 当麻寺駅からは徒歩15分

當麻寺は、飛鳥時代の創建とされる真言宗と浄土宗のお寺です。

奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」
yamatoji.nara-kankou.or.jp

境内は広々。背後に見える山並みと相まって、ゆったり静かな雰囲気でした。 

土曜日でしたが曇り時々雨の天気だったため、参拝客は少なめでした。

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二上山の麓に広がる境内

境内の中心に本堂(国宝)、左右には金堂(重文)と講堂(重文)がありました。

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左から金堂、本堂、講堂

ちなみに、このお寺には国宝8件、重要文化財30件、ほか指定文化財も多くあり、「文化財の宝庫」と言われるそうです。

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約1300年前に作られた梵鐘(国宝)

本堂にはご本尊があるのですが、當麻寺の場合は仏像ではなく、西方浄土が描かれた綴織當麻曼荼羅図(つづれおり たいま まんだらず)(国宝)という織物でした。 

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拝観料500円が必要です

本堂内で見ることができるのは、室町時代の複製(重文)。

オリジナルは奈良時代のもので縦横4m弱と巨大な織物ですが、損傷が激しいため普段は非公開だそうです。

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国宝・綴織當麻曼荼羅図(出典:文化庁 広報誌ぶんかる 文化財のトビラ051)

文化庁 広報誌ぶんかる

─糸のみほとけは美しい─修理完成記念特別展 糸のみほとけ ―国宝 綴織曼荼羅と繍仏― - 文化財のトビラ - 文化庁広報誌 ぶんかる

 

このいわゆる當麻曼荼羅は、「中将姫」(ちゅうじょうひめ)と言うお姫様がわずか一夜で織り上げたと言う伝説が残っているそうです。

當麻寺は中将姫ゆかりの寺として有名なようで、境内にはこんな看板もありました。

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當麻寺中之坊(重文)の前に「中将姫 剃髪所」の看板

拝観料500円を払い入ってみると、観音様のお堂がありました。中将姫は、ここで髪を剃り尼僧になったそうです。

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剃髪堂

順路を先に進むと、落ち着いた趣の庭園がありました。

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国指定の名勝・史跡「香藕園(こうぐうえん)」

 休憩を兼ねて眺めを楽しんだ後さらに進むと、「霊宝殿」というこぢんまりとした宝物殿があり、中将姫に関する展示もありました。(※撮影禁止でした)

 

■中将姫の伝説とは

この中之坊以外にも、當麻寺の境内を散策すると中将姫の名がそこかしこに登場します。私はよく知らなかったのですが、能や歌舞伎の題材になるなど昔から有名なお話のようで、境内には説明の案内板もありました。

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中将姫の説明書き

中将姫の伝説について少し調べてみたところ、奈良時代の女性で、右大臣・藤原豊成の娘とされているそうです。

奈良県観光局 情報誌「祈りの回廊」

inori.nara-kankou.or.jp

伝説の概要は次のとおりです。

姫は幼いころから美しく聡明で、仏教を深く信仰していました。しかし母が亡くなり、父が迎えた継母から疎まれ辛い仕打ちを受けるようになります。そして、ついに継母から命を狙われるまでにいたりました。

14歳のころ、姫は家臣の助けで山奥に逃れて隠棲し、経典と向き合う日々を送ります。

その後、山へ狩りに訪れた父と偶然の再開を果たし奈良の都に戻りますが、この世の無常を感じ仏教への帰依を更に深めた姫は、出家の意志を固めます。

姫は當麻寺の門をたたき、その熱意から入山を許されます。そして髪を剃り尼僧となりました。姫が17歳前後のころです。

尼僧になって程なく、仏の導きにより西方浄土を表した織物を一夜で織りあげます。これが今も寺の本尊とされる国宝の當麻曼荼羅です。

その後も仏道に励み、人々に教えを説き続けた姫は、29歳の時に極楽浄土へ旅立ったと言うことです。

 

伝説ではありますが、波乱の生涯ですね。

 

■中将姫とツムラ

中之坊を見終わって外に出たところ、壁にこんなポスターが貼ってありました。

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ツムラのポスター

どうしてツムラのポスターがココに?

そして、中将姫らしき女性が持っている箱には「中将湯」と書かれています。

境内にはヒントが見当たらなかったので、これも少し調べてみました。すると、次のような伝説もあることが分かりました。

 

姫は當麻寺で修行している時、薬草や漢方の知識も学び人々を助けていました。

そして姫は、かつて山奥で隠棲した際に手助けをしてくれた藤村家に、婦人薬の処方を教えていました。

明治時代、津村重舎と言う人物が、母方の実家である藤村家に代々伝わる婦人薬があることを知ります。「良薬を広めることは世のためになる」と考えた津村は、明治26年に津村順天堂を設立。家伝の婦人薬を「中将湯」と名付け、売り出しました。

〇株式会社ツムラ公式サイト

www.tsumura.co.jp

これが現在のツムラの創業の物語とされています。そして中将湯は現在も販売されている超ロングセラー商品で、海外にも輸出されているそうです。

日本家庭薬協会 公式サイト

www.hmaj.com

また入浴剤のバスクリンは、中将湯の生産時に発生する切れ端など残り物の生薬を、社員が風呂に入れてみたところ体が温まる効果があったことから、明治30年に誕生した「くすり湯 浴剤中将湯」が元になっているそうです。

(※バスクリンに関する事業はツムラを離れ、現在は別会社になっています)

〇株式会社バスクリン公式サイト

www.bathclin.co.jp

ツムラバスクリンは子どものころから知っていますが、このような始まりの物語があるとは知りませんでした。伝説をもとにしているため全てが真実と言う訳ではないでしょうが、歴史のロマンを感じさせてくれます。

 

今回は紹介していませんが、當麻寺の境内には他にも見どころが沢山ありました。天気を見計らって、改めて再訪したいですね。

 

當麻寺をあとにした帰路、お寺の周辺には水田が広がっていました。田植えが終わった時期で、水面に山並みが映っています。

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當麻寺北側の山麓

奈良時代の中将姫も似たような景色を見ていたのでは・・・と思いました。