岸和田と言えば「だんじり」と相場が決まっていますが、実は「タコ」も大切にされているとは知りませんでした。
地図を眺めていて目に留まったのが、南海電鉄の「蛸地蔵駅」。六地蔵や子安地蔵、とげぬき地蔵なら聞いたこともありますが、タコは初耳です。
興味が湧いたので、まず駅へ行ってみることにしました。
■洋風の駅舎
蛸地蔵駅の周辺は、商店や住宅などが密集している地域。道は細く、駅前も広くはありません。バイクを駅舎の脇に少しだけ停めさせていただいて、駅を拝見しました。
この駅舎、駅名とは裏腹に洋風のデザイン。しかも駅名の看板の下に、ステンドグラスらしき窓も見えます。「蛸地蔵」と言う名前とはギャップを感じます。
駅舎に入って、ステンドグラスを見てみました。
このステンドグラスは3枚一組ですが、その絵柄に驚きました。巨大なタコが描かれているのです。
これまで旅先で色々なステンドグラスを見てきましたが、タコのステンドグラスは見たことがありません。タコは巨大で、人間と戦っているようです。
また、真ん中のステンドグラスには錫杖?を持って戦う人間の姿もあります。真ん中なので、主役・主人公と思われます。
何かの戦いの場面を描いているものと思いますが、特に下調べもせず来ているので、よく分かりません・・・。構内に説明の看板やパンフレットは見当たらなかったので、駅を利用する地元の方々にとっては説明不要なほど有名と言うことでしょうか。
この駅舎については、後で調べてみると大正14年に建てられたそうです。大正時代はモダン建築が流行した頃なので、洋風なのは何となく納得です。
〇きしわだSIDE(岸和田市観光課)
さて、蛸地蔵駅と言うからには、近くに由来となるお地蔵様があるはず。しかし駅舎の周りには無さそうだったので、設置されていた周辺案内図を見てみました。
周辺案内図で「蛸地蔵」を発見しました。天性寺というお寺です。これが駅名の由来なのでしょうね。
それにしても、岸和田城の方が駅から近いのに、お城より遠い蛸地蔵のほうが駅名に選ばれるとは・・・。地域にとってそれほど重要と言うことでしょうか。
とにかく場所が分かったので、行ってみました。
■天性寺
駅からバイクで5分ほど走り、天性寺に到着。住宅密集地の中にあり、狭い道を注意して進みました。
この看板には、こう書かれています。
地蔵堂としては最大級の堂宇の中に蛸地蔵がまつられ、戦国の頃岸和田城主と根来・雑賀衆の合戦で、大蛸に乗った法師と無数の蛸たちが、城の危機を救ったという「蛸地蔵縁起絵巻」を伝えます。
やはり、ここに蛸地蔵がありました。そして駅のステンドグラスに描かれていたのが、この合戦の様子なのですね。
お堂は戸が閉められており、中の様子は窺えません。格子の一つが小窓になっていて覗けるのですが、内部が真っ暗なので良く見えません・・・。
しかしここに蛸地蔵があるはずなので、取り合えずお参りしておきました。
境内にタコをモチーフにした何かがあるのではないかと探してみたところ、お堂の脇に願い事が書かれた絵馬がたくさん掛けられていて、その絵馬にはどれも同じタコの絵が描かれていました。願い事が書かれているので写真は撮っていませんが、タコの絵は筆による手書きらしい、味のあるものでした。
蛸地蔵と呼ばれるお地蔵様は拝見できませんでしたが、珍しいタコの絵馬が見られましたので、来た甲斐がありました。
■蛸地蔵とは
さて、そもそも何故「蛸地蔵」と呼ばれるのか、あとで調べてみました。すると、次のような言い伝えがありました。
岸和田城の危機を救った法師は、敵を追い払ったあと姿を消してしまいました。戦いの数日後、法師が城主の夢枕に立ち、自分が地蔵菩薩の化身だと告げました。そして城内で傷ついたお地蔵様が発見され、初めは城内で、のちに天性寺で大切にまつられるようになったそうです。お地蔵様はタコとともに現れタコとともに戦ったことから、「蛸地蔵」と呼ばれるようになりました。
蛸地蔵は秘仏ですが、毎年8月の地蔵盆の際にご開帳されるそうです。一度お姿を見てみたいものです。
詳しくは、こちらのサイトでどうぞ。
〇きしわだSIDE(岸和田市観光課)
〇浄土宗 寺院紹介Navi
「蛸地蔵縁起絵巻」の画像はこちらで見られます
〇岸和田市広報公聴課
また、なぜタコが登場するのかと言う点については、どうやらこの地域・泉州(和泉国の別称)で昔からタコ漁が行われていたことと関係がありそうです。
潮の流れが穏やかなことと、タコの餌となるエビやカニが多いことから、甘みがあって柔らかく美味しいタコが採れるそうで、弥生時代の遺跡からもタコ漁に関する出土品があるとのことです。
近年では2010年に地域団体商標として「泉(いずみ)だこ」が登録されています。タコとしては全国初の登録だったそうです。
地域にとって、タコは身近で親しみのある存在なのでしょうね。
〇産経新聞2021年2月2日記事
〇JF大阪漁連「地域ブランド泉だこについて」
■岸和田城へ
天性寺を見終わったので、法師やタコたちが危機を救ったと言う岸和田城に行ってみました。
お堀沿いで交通整理をしていた方に駐輪場がないか尋ねてみたところ、二の丸広場に自転車とバイクを駐輪できるとのことでした。
二の丸広場には自転車やバイクがたくさん停められていました。自分のバイクも一緒にとめたのですが、広場の中心を見ると人が大勢集まっており、どうやら何かイベントが開催されるようです。看板もありました。
あと15分ほどで「実録 岸和田合戦絵巻」が開催されるとのこと。しかも看板によると、内容は蛸地蔵の由来に因んだものではありませんか!これは見ない訳にはいきません。このイベントが開催されるとは知らずに来たので全くの偶然ですが、ちょうどいいタイミングでした。
メインイベントは、岸和田市の中学校の剣道部員による「風船割り合戦」とされています。一体どんな合戦なのか、楽しみです。
14時になり、開会のあいさつが始まりました。周囲にはたくさんの観客も集まっていました。
演武の参加者が整列する前で、市の教育委員会のかたからは、法師がタコと共に戦い城の危機を救った話についても説明がありました。
その後、演武が始まりました。
さて演武の最後、いよいよ風船割り合戦の始まりです。すると場内アナウンスが流れ、ここで何と、甲冑姿の岸和田市長が登場しました。
撮影位置的に逆光となり顔がよく見えませんが、岸和田市長の登場です。メインイベントの風船割り合戦で、決着がついたら勝鬨(かちどき)をあげる役だそうです。
市長の登場後、剣道部の生徒たちが入場してきました。
入場してきた生徒たちは、全員が面の上に紙風船を載せていました。「風船割り」ということで、戦って相手側の紙風船を割るんですね。
合戦が始まりました。
戦いでは紙風船が割れる「パン!」「パーン!」という音が、そこかしこで響きます。面を当てても上手く紙風船が割れるとは限らないようで、熱戦が続きました。
戦いが一段落したところで、それぞれの大将が名乗りを上げて、一騎打ちを始めました。
写真では分かりづらいのですが、白熱した戦いを繰り広げたあと決着がつき、互いに自分の陣地に戻りました。
そして、市長による「エイ、エイ、オー!」の勝鬨で、合戦は終了となりました。
タコは登場しませんでしたが、面白い「合戦」を見せてもらえました。
イベント終了後、岸和田城の天守閣を見に行ってみました。天守閣は綺麗な姿で、中も見学できるようになっていましたが、この日は時間が無かったので、外観を見るだけにしておきました。また次の機会に拝見しようと思います。
お城について、詳しくはこちらをどうぞ。
〇岸和田城特設サイト
「蛸地蔵駅」という駅名に興味を惹かれて訪ねてみたところ、岸和田城にまつわる地域の歴史と、タコへの特別な思いを知ることができたツーリングとなりました。