歴史の教科書に掲載されている聖フランシスコ・ザビエル像。この肖像画は、大阪府にある「隠れキリシタンの里」の旧家に江戸時代から秘蔵されていた物で、大正時代に郷土史家により発見されたそうです。
「隠れキリシタンの里」と言うと、世界遺産にも指定されている長崎や(熊本の)天草を思い浮かべるのですが、大阪府にもあったとは知りませんでした。
現在その里には茨木市立キリシタン遺物史料館があると以前ニュースで知ったことを思い出し、行ってみることにしました。
■アクセス
公共交通機関で行くなら路線バスですが、山間部の小さな集落にあるためバスが発着する鉄道駅からは遠く、最寄りのバス停(阪急バス「千提寺口」)からも山道を10~15分ほど歩くことになるので、車かバイクが便利です。駐車場は普通車用が3台分ありました。
○茨木市の公式HP
今回は新名神高速道路を使いました。最寄りとなる茨木千提寺ICからはとても近くて、5分とかからない距離です。
■キリシタン大名・高山右近の領地
ICの名前にも使われている茨木市の千提寺地区が、ザビエル像の発見された「隠れキリシタンの里」です。
ここを含む大阪府の茨木市や高槻市の一帯は、戦国時代、キリシタン大名・高山右近の領地だったそうです。領内ではキリスト教の布教が行われ、多くの領民が信者になったようです。
その後、豊臣秀吉のバテレン追放令、徳川家康のキリシタン禁教令によってキリスト教の布教や信仰が禁じられましたが、この地区や近隣の地域では密かに信仰が続けられてきたそうです。
■茨木市立キリシタン遺物史料館
坂道を登っていくと、小さな集落の中にある史料館に到着します。高速道路のICから近いと言っても、向かう道の傾斜がキツイので結構山の中に来た感じです。
史料館は、一軒家のような建物です。中に入り玄関脇の事務室に挨拶してから、展示物を見ていきます。入館料は無料でした。
(※内部は撮影禁止とのことでしたので写真はありません・・・)
展示室は一つだけ。こじんまりとしていますが、キリスト磔刑像や聖画など信仰のため使われてきた様々な「キリシタン遺物」が展示されていました。その中でもやはり目立っていたのが、「聖フランシスコ・ザビエル像」です。教科書に印刷されているのと違い、目の前に大きな絵が掛けられているので存在感があります。
日本に初めてキリスト教を伝えたとされるザビエルは、日本だけでなくアジア各地で宣教活動を行い、江戸時代初期にはローマ教皇によって聖人に列せられたそうです。
この肖像画は筆者不明とされていますが、聖人に列せられたあと、日本で日本人絵師により密かに描かれたものと考えられているそうです。
禁教下で多くの聖画が失われたにも関わらず、現代まで守り伝えられてきたことから大変貴重なものとされ、重要文化財に指定されています。
ザビエル像については、文化庁のページに詳しく掲載されていました。
実は、この史料館に展示されているのは精巧なレプリカとのこと。本物は、神戸市立博物館に所蔵されているそうです。レプリカだとしても珍しい物と思いますので、見ることができて満足です。
しかし、このザビエル像が日本で日本人によって描かれたと考えられているとは・・・。意外でした。
■ザビエル像 発見の経緯
この絵は1920年に、郷土史家・藤波大超氏が発見しました。この地区が隠れキリシタンの里だったとの噂があり、調査していたそうです。
時代は既に大正。キリスト教の信仰に制限は無くなっていたとは言え、地区の人々の警戒心は依然として強かったようで、信仰について話してくれる人はいなかったそうです。しかし何度も足を運ぶうちに少しずつ話を聞けるようになり、ある旧家で世継ぎにだけに受け継がれてきた、開けられたことのない箱(櫃)があるという情報にたどり着きました。説得して開けてもらったところ、このザビエル像が収められていました。また、隣接する地域の調査でも、様々な遺物が発見されました。
この一連の発見により、新聞で報道されたり大学の調査も入ったりするなど、隠れキリシタンの里として当時大いに注目が集まったそうです。また、それがきっかけで1926年にはローマ教皇使節一行がこの地区を訪問しました。当時は最後の隠れキリシタンとも言える老人がまだ3人いらっしゃって、儀式や風習を受け継いでいたそうです。
発見の経緯や史料館については、こちらのサイトに詳しい記事が掲載されていて、展示物の写真も見られます。
○ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」
また、こちらのサイトの記事では、ローマ教皇使節一行が来訪した時の写真も掲載されています。
○ニュースサイト「City Life News」
小さな建物で展示物も多くはないのですが、秘められてきた歴史が詰まった濃い内容の史料館だったと感じました。
■ザビエル像が発見された家
さて、ザビエル像が発見された旧家(東家)は史料館の目の前にあるとのこと。史料館の玄関から見てみると、確かに大きなお宅があります。
坂を下りてみると、先ほどは気づきませんでしたが敷地の角に石碑が建てられていました。
石碑には、「北摂キリシタン遺物発見最初の家」と記されています。やはり、このお宅が東家のようですね。櫃は、母屋の屋根裏の梁に括り付けてあったのだそうです。
(※個人のお宅なので写真を掲載するか迷いましたが、石碑が建てられているぐらいなので、歴史スポットとして掲載させていただきました)
この東家で発見されたザビエル像が、なぜ神戸市立博物館の所蔵になったのか、これにも経緯があるわけですが、長くなるのでここでは割愛します。
こちらの記事には、譲った側と譲られた側、それぞれのお身内のかたのお話が掲載されています。ご興味ありましたらどうぞ。
○NIKKEI STYLE
「隠れキリシタンの里」は、それと知らなければ普通の山あいの集落として通り過ぎるだけでしょう。しかしそれは、信者たちが外部に気づかれないよう命がけで信仰を守り通してきた結果、ひっそりと周囲に溶け込んだからなのでしょうね。