ゆっきいDAYS

関西各地へのツーリングやバイクのことなどを書いていきます

蛸地蔵(タコじぞう)を訪ねてみたら、甲冑姿の市長に遭遇(大阪府 岸和田市)

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岸和田と言えば「だんじり」と相場が決まっていますが、実は「タコ」も大切にされているとは知りませんでした。

地図を眺めていて目に留まったのが、南海電鉄の「蛸地蔵駅」。六地蔵や子安地蔵、とげぬき地蔵なら聞いたこともありますが、タコは初耳です。

興味が湧いたので、まず駅へ行ってみることにしました。

■洋風の駅舎

蛸地蔵駅の周辺は、商店や住宅などが密集している地域。道は細く、駅前も広くはありません。バイクを駅舎の脇に少しだけ停めさせていただいて、駅を拝見しました。

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南海本線 蛸地蔵駅

この駅舎、駅名とは裏腹に洋風のデザイン。しかも駅名の看板の下に、ステンドグラスらしき窓も見えます。「蛸地蔵」と言う名前とはギャップを感じます。

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ステンドグラスらしき窓が

 

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内部も洋風です

駅舎に入って、ステンドグラスを見てみました。

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ステンドグラスのある駅は、かなり珍しいのでは

このステンドグラスは3枚一組ですが、その絵柄に驚きました。巨大なタコが描かれているのです。

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巨大なタコ しかも群れです

これまで旅先で色々なステンドグラスを見てきましたが、タコのステンドグラスは見たことがありません。タコは巨大で、人間と戦っているようです。

また、真ん中のステンドグラスには錫杖?を持って戦う人間の姿もあります。真ん中なので、主役・主人公と思われます。

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数人を踏みつけて、錫杖?を振り回しています

何かの戦いの場面を描いているものと思いますが、特に下調べもせず来ているので、よく分かりません・・・。構内に説明の看板やパンフレットは見当たらなかったので、駅を利用する地元の方々にとっては説明不要なほど有名と言うことでしょうか。

この駅舎については、後で調べてみると大正14年に建てられたそうです。大正時代はモダン建築が流行した頃なので、洋風なのは何となく納得です。

〇きしわだSIDE(岸和田市観光課)

www.city.kishiwada.osaka.jp


さて、蛸地蔵駅と言うからには、近くに由来となるお地蔵様があるはず。しかし駅舎の周りには無さそうだったので、設置されていた周辺案内図を見てみました。

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駅舎横の周辺案内図

 

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駅の近くには岸和田城がありました

 

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ありました。地図の右下に「蛸地蔵」

周辺案内図で「蛸地蔵」を発見しました。天性寺というお寺です。これが駅名の由来なのでしょうね。

それにしても、岸和田城の方が駅から近いのに、お城より遠い蛸地蔵のほうが駅名に選ばれるとは・・・。地域にとってそれほど重要と言うことでしょうか。

とにかく場所が分かったので、行ってみました。

 

■天性寺

駅からバイクで5分ほど走り、天性寺に到着。住宅密集地の中にあり、狭い道を注意して進みました。

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浄土宗 天性寺

 

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「蛸地蔵天性寺」と刻まれています

 

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門のところに看板が

 

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お寺の説明が

この看板には、こう書かれています。

地蔵堂としては最大級の堂宇の中に蛸地蔵がまつられ、戦国の頃岸和田城主と根来・雑賀衆の合戦で、大蛸に乗った法師と無数の蛸たちが、城の危機を救ったという「蛸地蔵縁起絵巻」を伝えます。

やはり、ここに蛸地蔵がありました。そして駅のステンドグラスに描かれていたのが、この合戦の様子なのですね。

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境内には誰もいませんでした

 

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これが地蔵堂ですね

お堂は戸が閉められており、中の様子は窺えません。格子の一つが小窓になっていて覗けるのですが、内部が真っ暗なので良く見えません・・・。
しかしここに蛸地蔵があるはずなので、取り合えずお参りしておきました。

境内にタコをモチーフにした何かがあるのではないかと探してみたところ、お堂の脇に願い事が書かれた絵馬がたくさん掛けられていて、その絵馬にはどれも同じタコの絵が描かれていました。願い事が書かれているので写真は撮っていませんが、タコの絵は筆による手書きらしい、味のあるものでした。

蛸地蔵と呼ばれるお地蔵様は拝見できませんでしたが、珍しいタコの絵馬が見られましたので、来た甲斐がありました。

 

■蛸地蔵とは

さて、そもそも何故「蛸地蔵」と呼ばれるのか、あとで調べてみました。すると、次のような言い伝えがありました。

岸和田城の危機を救った法師は、敵を追い払ったあと姿を消してしまいました。戦いの数日後、法師が城主の夢枕に立ち、自分が地蔵菩薩の化身だと告げました。そして城内で傷ついたお地蔵様が発見され、初めは城内で、のちに天性寺で大切にまつられるようになったそうです。お地蔵様はタコとともに現れタコとともに戦ったことから、「蛸地蔵」と呼ばれるようになりました。

蛸地蔵は秘仏ですが、毎年8月の地蔵盆の際にご開帳されるそうです。一度お姿を見てみたいものです。

詳しくは、こちらのサイトでどうぞ。

〇きしわだSIDE(岸和田市観光課)

www.city.kishiwada.osaka.jp

 

〇浄土宗 寺院紹介Navi

otera.jodo.or.jp

 

「蛸地蔵縁起絵巻」の画像はこちらで見られます

岸和田市広報公聴課

www.city.kishiwada.osaka.jp

 

また、なぜタコが登場するのかと言う点については、どうやらこの地域・泉州和泉国の別称)で昔からタコ漁が行われていたことと関係がありそうです。

潮の流れが穏やかなことと、タコの餌となるエビやカニが多いことから、甘みがあって柔らかく美味しいタコが採れるそうで、弥生時代の遺跡からもタコ漁に関する出土品があるとのことです。

近年では2010年に地域団体商標として「泉(いずみ)だこ」が登録されています。タコとしては全国初の登録だったそうです。

地域にとって、タコは身近で親しみのある存在なのでしょうね。

産経新聞2021年2月2日記事

www.sankei.com

 

〇JF大阪漁連「地域ブランド泉だこについて」

www.osakagyoren.or.jp

 

岸和田城

天性寺を見終わったので、法師やタコたちが危機を救ったと言う岸和田城に行ってみました。

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まだ桜がキレイでした

お堀沿いで交通整理をしていた方に駐輪場がないか尋ねてみたところ、二の丸広場に自転車とバイクを駐輪できるとのことでした。

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堀を渡って城の敷地内に入りました

 

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二の丸広場です

二の丸広場には自転車やバイクがたくさん停められていました。自分のバイクも一緒にとめたのですが、広場の中心を見ると人が大勢集まっており、どうやら何かイベントが開催されるようです。看板もありました。

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この日は2022年4月10日でした

 

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天性寺の蛸地蔵のことが書かれています

あと15分ほどで「実録 岸和田合戦絵巻」が開催されるとのこと。しかも看板によると、内容は蛸地蔵の由来に因んだものではありませんか!これは見ない訳にはいきません。このイベントが開催されるとは知らずに来たので全くの偶然ですが、ちょうどいいタイミングでした。

メインイベントは、岸和田市の中学校の剣道部員による「風船割り合戦」とされています。一体どんな合戦なのか、楽しみです。

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風船割り合戦の前に、色々な演武がありますね

14時になり、開会のあいさつが始まりました。周囲にはたくさんの観客も集まっていました。

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「開会のあいさつ」

演武の参加者が整列する前で、市の教育委員会のかたからは、法師がタコと共に戦い城の危機を救った話についても説明がありました。
その後、演武が始まりました。

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演武3番目「空手道 形」(子供たちです)

 

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演武4番目「剣道 基本稽古」

さて演武の最後、いよいよ風船割り合戦の始まりです。すると場内アナウンスが流れ、ここで何と、甲冑姿の岸和田市長が登場しました。

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ステージ上に座っているのは・・・

 

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赤い甲冑姿の岸和田市長です

撮影位置的に逆光となり顔がよく見えませんが、岸和田市長の登場です。メインイベントの風船割り合戦で、決着がついたら勝鬨(かちどき)をあげる役だそうです。

市長の登場後、剣道部の生徒たちが入場してきました。

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かなりの人数です

入場してきた生徒たちは、全員が面の上に紙風船を載せていました。「風船割り」ということで、戦って相手側の紙風船を割るんですね。

合戦が始まりました。

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両軍入り乱れて紙風船を割るため戦います

 

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砂ぼこりをあげながら熱戦が繰り広げられます

戦いでは紙風船が割れる「パン!」「パーン!」という音が、そこかしこで響きます。面を当てても上手く紙風船が割れるとは限らないようで、熱戦が続きました。

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最後は大将同士の一騎打ち(写真中央)

戦いが一段落したところで、それぞれの大将が名乗りを上げて、一騎打ちを始めました。

写真では分かりづらいのですが、白熱した戦いを繰り広げたあと決着がつき、互いに自分の陣地に戻りました。

そして、市長による「エイ、エイ、オー!」の勝鬨で、合戦は終了となりました。

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市長は勝鬨に合わせ刀を頭上に突き上げていました

タコは登場しませんでしたが、面白い「合戦」を見せてもらえました。

イベント終了後、岸和田城天守閣を見に行ってみました。天守閣は綺麗な姿で、中も見学できるようになっていましたが、この日は時間が無かったので、外観を見るだけにしておきました。また次の機会に拝見しようと思います。

お城について、詳しくはこちらをどうぞ。

岸和田城特設サイト

www.city.kishiwada.osaka.jp

 

蛸地蔵駅」という駅名に興味を惹かれて訪ねてみたところ、岸和田城にまつわる地域の歴史と、タコへの特別な思いを知ることができたツーリングとなりました。

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岸和田城 天守

飛鳥時代の「白亜のピラミッド」復元完了(奈良県 明日香村)

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着陸したUFOかと思ってしまいそうな八角形の構造物が、のどかな風景の中に出現しました。4年かけて復元整備された、明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳です。

日曜のお昼にテレビで「今日から一般公開が始まった」と報道されていたのを見て、早速午後から行ってみることにしました。

 

■アクセス

明日香村の公式HP等を見ると、牽牛子塚古墳に駐車場は無いとのことで、車で行くなら最寄りの近鉄飛鳥駅もしくは「アグリステーション飛鳥」の駐車場に駐車して、そこから10分ほど歩くとされています。

 

〇明日香村 公式HP

asukamura.jp

駐輪場は牽牛子塚古墳のエリア内に設けられていて、自転車とバイクを停められます。しかしこれは現地に行ってから知ったことで、自分は飛鳥駅前から歩いて行ってしまいました・・・。

帰宅後に調べたら、こちらのサイトに駐輪場の記述がありました。

 

〇飛鳥観光協会 公式HP

asukamura.com

 

■飛鳥駅から歩いて古墳へ

バイクで近鉄飛鳥駅に着くと、駅舎のすぐ前に駐輪場がありました。

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この日は来る途中で雨に降られました・・・

自転車だけでなくバイクも数台あったので、自分もそこに停めて徒歩で牽牛子塚古墳に向かいます。

駅からの道は少し分かりにくいのですが、駅舎の裏手(大阪方面へ行くホーム側)に回って、集落の中の細い道を上っていきます。スマホ等で地図を参照する場合は、古墳のすぐ手前にある介護老人福祉施設を目印にすると良いと思います。

また、写真はありませんが、道の途中に牽牛子塚古墳用の臨時駐車場が設けられていました。HP等を調べても記載が見当たらないので、一般公開の開始に合わせた短期間のものかもしれません。

 

■高台に築かれた「白亜のピラミッド」

10分ほど歩くと、牽牛子塚古墳に到着しました。

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エリア内は道も整備されていました

復元整備された古墳は、畑や林が広がる丘陵地の一角に築かれています。改めて現地で見ると、やはり周囲とは異質な存在感を放っていました。

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テントでは明日香村のお土産が売られていました

一般公開の初日だったためか、結構多くの見学者が訪れていました。家族連れや夫婦二人連れの方々が目立つ印象で、自分のようにニュースで知って来た人も多いのかもしれませんね。

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今は茶色の地面ですが、暖かくなったら緑が広がると思います

古墳は丘の上なので坂道を上りますが、飛鳥駅からも坂道の連続だったので、ライディングブーツを履く足がちょっと疲れてきました・・・。もうひと踏ん張りです。

さて、この古墳の整備は2017年から進められてきたそうです。

7世紀後半に作られた古墳で、近年の発掘調査から八角形を三段積み重ねた「八角墳」であり、装飾用の白い岩に覆われていたことが判明しました。

そこから「白亜のピラミッド」とも呼ばれているそうですが、発掘調査の結果をもとにその姿を復元したと言う訳です。

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途中、内部構造が分かる模型が置かれていました

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牽牛子塚古墳(白い方)は墓室が2個ある「合葬墓」 手前側は越塚御門古墳

この古墳が復元された理由は、崩落の恐れがあること、希少な八角墳であること、周囲の遺跡と合わせて世界遺産への登録を目指していること、などのようです。

八角墳は古墳時代末期の天皇陵の特徴だそうで、この古墳も斉明天皇が埋葬されていた可能性が高いそう。斉明天皇は、「大化の改新」で有名な中大兄皇子(のちの天智天皇)の母ですね。

合葬されていたのは、斉明天皇の娘・間人皇女(はしひとのひめみこ)と考えられているそうです。

今回の復元整備の完了にあたって、明日香村がパンフレットを発行しています。村のHPからどうぞ。

 

〇明日香村 公式HP

asukamura.jp

 

■ようやく到着!

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牽牛子塚古墳

前置きが長くなりましたが、ようやく到着しました。

墳丘を覆っているのはコンクリートのように見えますが、調査結果を踏まえて、凝灰岩という岩を使用しているそうです。でも写真だとコンクリートっぽさが強いですね。なんだか要塞にも見えてきます。

すぐ後ろの一段高くなった「展望広場」に登って、上からも見てみました。

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展望広場から

ここからは南東の方角が見渡せます。きっと古墳が築かれた飛鳥時代にも、このような眺望が楽しめたのでしょうね。今はまだ冬っぽい景色ですが、暖かくなれば緑も広がると思います。

古墳にも登れるので、行ってみました。

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入場料などの料金はかかりません 無料です

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墓室が見学できる作りになっています

岩で覆われた古墳なのですが、やっぱり何だか要塞とかトーチカのようにも見えてしまいます・・・。それにしても、当時の様子を(見学用の部分以外は)忠実に再現したということですので、このような精巧な構造物が飛鳥時代に作られていたとは驚きです。

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越塚御門古墳(手前)

牽牛子塚古墳に隣接している越塚御門(こしつかごもん)古墳も、合わせて整備されていました。石室内で映像が上映されていましたが、満員だったので今回はやめておきました。

来てからずっと曇り空だったのですが、ここへ来て晴れ間が覗くように。日光が当たると、牽牛子塚古墳の白さが増します。

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もはや要塞かトーチカにしか見えなくなってしまいました

初めて来たので復元整備される前の状態を知らないのですが、飛鳥観光協会のHPに以前の様子が掲載されていました。

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引用元:飛鳥観光協会「旅する明日香ネット」

〇旅する明日香ネット

asukamura.com

備前と整備後で、風景が一変していますね。村の教育委員会によると、八角墳の復元整備は全国で初めてだそうです。

奈良県橿原市桜井市・明日香村は、この牽牛子塚古墳のほか石舞台古墳高松塚古墳藤原京跡など28件を「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」として、世界遺産への登録を目指しています。既に、暫定リストには掲載されているそうです。

世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会 公式HP

asuka-fujiwara.jp

主に遺跡や古墳、景観で構成されていて、日本という国の成立と形成を知る手がかりとなる貴重な文化遺産だと思われます。しかし考古学的なものなので、奈良市京都市世界遺産に登録されている立派な寺社仏閣に比べると、どうしても地味な印象が・・・。

また、世界遺産を目指していること自体が、余り知られていないように思えます。(※自分も今回初めて知りました)

飛鳥エリアの魅力である豊かな自然や里山の風景、のどかな暮らしの文化なども含めた楽しみ方を上手にアピールできれば、国内の機運も更に高まって登録推進の力になるのではないかと感じました。

 

■牽牛子=アサガオ

「牽牛子」はアサガオを意味するそうです。この牽牛子塚古墳も、八角形の墳丘がアサガオの花に似ていることから、別名「あさがお塚」と呼ばれていたそうです。

そして明日香村は、古墳の周辺にアサガオを植えて花を咲かせるため、ネットで寄付を募っています。古墳と花の組み合わせは意外ですが、それ以上に古墳とクラウドファンディングという組み合わせのギャップもスゴイですね。

 

〇ふるさとチョイス ガバメントクラウドファンディング

www.furusato-tax.jp

 

自分としては、花や緑がキレイな時期に再訪したいと思える場所でした。

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あのザビエル像が発見された「隠れキリシタンの里」(大阪府 茨木市)

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歴史の教科書に掲載されている聖フランシスコ・ザビエル像。この肖像画は、大阪府にある「隠れキリシタンの里」の旧家に江戸時代から秘蔵されていた物で、大正時代に郷土史家により発見されたそうです。

隠れキリシタンの里」と言うと、世界遺産にも指定されている長崎や(熊本の)天草を思い浮かべるのですが、大阪府にもあったとは知りませんでした。

現在その里には茨木市キリシタン遺物史料館があると以前ニュースで知ったことを思い出し、行ってみることにしました。

 

■アクセス

公共交通機関で行くなら路線バスですが、山間部の小さな集落にあるためバスが発着する鉄道駅からは遠く、最寄りのバス停(阪急バス「千提寺口」)からも山道を10~15分ほど歩くことになるので、車かバイクが便利です。駐車場は普通車用が3台分ありました。

茨木市の公式HP

キリシタン遺物史料館の利用案内/茨木市

今回は新名神高速道路を使いました。最寄りとなる茨木千提寺ICからはとても近くて、5分とかからない距離です。

 

キリシタン大名高山右近の領地

ICの名前にも使われている茨木市の千提寺地区が、ザビエル像の発見された「隠れキリシタンの里」です。

ここを含む大阪府茨木市高槻市の一帯は、戦国時代、キリシタン大名高山右近の領地だったそうです。領内ではキリスト教の布教が行われ、多くの領民が信者になったようです。

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行く途中、振り返ると新名神の高架が見えました

その後、豊臣秀吉バテレン追放令、徳川家康キリシタン禁教令によってキリスト教の布教や信仰が禁じられましたが、この地区や近隣の地域では密かに信仰が続けられてきたそうです。

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史料館に向かい、どんどん上ります

 

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木々に隠れた向こう側が目的地です

 

茨木市キリシタン遺物史料館

坂道を登っていくと、小さな集落の中にある史料館に到着します。高速道路のICから近いと言っても、向かう道の傾斜がキツイので結構山の中に来た感じです。

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史料館のすぐ手前に看板と掲示板が

 

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掲示板に貼られている「隠れキリシタンの里 千提寺散策 MAP」

 

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坂を上ると左手に史料館が

 

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史料館の外観

史料館は、一軒家のような建物です。中に入り玄関脇の事務室に挨拶してから、展示物を見ていきます。入館料は無料でした。

(※内部は撮影禁止とのことでしたので写真はありません・・・)

展示室は一つだけ。こじんまりとしていますが、キリスト磔刑像や聖画など信仰のため使われてきた様々な「キリシタン遺物」が展示されていました。その中でもやはり目立っていたのが、「聖フランシスコ・ザビエル像」です。教科書に印刷されているのと違い、目の前に大きな絵が掛けられているので存在感があります。

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聖フランシスコ・ザビエル像(引用元:文化庁文化遺産オンライン」)

日本に初めてキリスト教を伝えたとされるザビエルは、日本だけでなくアジア各地で宣教活動を行い、江戸時代初期にはローマ教皇によって聖人に列せられたそうです。

この肖像画は筆者不明とされていますが、聖人に列せられたあと、日本で日本人絵師により密かに描かれたものと考えられているそうです。

禁教下で多くの聖画が失われたにも関わらず、現代まで守り伝えられてきたことから大変貴重なものとされ、重要文化財に指定されています。

ザビエル像については、文化庁のページに詳しく掲載されていました。

文化庁文化遺産オンライン」

bunka.nii.ac.jp

実は、この史料館に展示されているのは精巧なレプリカとのこと。本物は、神戸市立博物館に所蔵されているそうです。レプリカだとしても珍しい物と思いますので、見ることができて満足です。

しかし、このザビエル像が日本で日本人によって描かれたと考えられているとは・・・。意外でした。

 

■ザビエル像 発見の経緯

この絵は1920年に、郷土史家・藤波大超氏が発見しました。この地区が隠れキリシタンの里だったとの噂があり、調査していたそうです。

時代は既に大正。キリスト教の信仰に制限は無くなっていたとは言え、地区の人々の警戒心は依然として強かったようで、信仰について話してくれる人はいなかったそうです。しかし何度も足を運ぶうちに少しずつ話を聞けるようになり、ある旧家で世継ぎにだけに受け継がれてきた、開けられたことのない箱(櫃)があるという情報にたどり着きました。説得して開けてもらったところ、このザビエル像が収められていました。また、隣接する地域の調査でも、様々な遺物が発見されました。

この一連の発見により、新聞で報道されたり大学の調査も入ったりするなど、隠れキリシタンの里として当時大いに注目が集まったそうです。また、それがきっかけで1926年にはローマ教皇使節一行がこの地区を訪問しました。当時は最後の隠れキリシタンとも言える老人がまだ3人いらっしゃって、儀式や風習を受け継いでいたそうです。

発見の経緯や史料館については、こちらのサイトに詳しい記事が掲載されていて、展示物の写真も見られます。

○ニュースサイト「クリスチャントゥデイ

www.christiantoday.co.jp

また、こちらのサイトの記事では、ローマ教皇使節一行が来訪した時の写真も掲載されています。

○ニュースサイト「City Life News」

citylife-new.com

 

小さな建物で展示物も多くはないのですが、秘められてきた歴史が詰まった濃い内容の史料館だったと感じました。

 

■ザビエル像が発見された家

さて、ザビエル像が発見された旧家(東家)は史料館の目の前にあるとのこと。史料館の玄関から見てみると、確かに大きなお宅があります。

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史料館の向かいに旧家が

 

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先ほどの掲示板のところです

坂を下りてみると、先ほどは気づきませんでしたが敷地の角に石碑が建てられていました。

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古い物のようです

石碑には、「北摂キリシタン遺物発見最初の家」と記されています。やはり、このお宅が東家のようですね。櫃は、母屋の屋根裏の梁に括り付けてあったのだそうです。

(※個人のお宅なので写真を掲載するか迷いましたが、石碑が建てられているぐらいなので、歴史スポットとして掲載させていただきました)

 

この東家で発見されたザビエル像が、なぜ神戸市立博物館の所蔵になったのか、これにも経緯があるわけですが、長くなるのでここでは割愛します。

こちらの記事には、譲った側と譲られた側、それぞれのお身内のかたのお話が掲載されています。ご興味ありましたらどうぞ。

○NIKKEI STYLE

style.nikkei.com

 

隠れキリシタンの里」は、それと知らなければ普通の山あいの集落として通り過ぎるだけでしょう。しかしそれは、信者たちが外部に気づかれないよう命がけで信仰を守り通してきた結果、ひっそりと周囲に溶け込んだからなのでしょうね。

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CBR650RにDimotivのサイドスタンドエンド

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バイクを駐車する際、地面が土、砂利などの不整地だとサイドスタンドが刺さってしまい、バイクが不安定な姿勢になるので躊躇することがあります。

これまでは、対策としてプラスチック製の板状の商品を携行していたのですが、置くときに手間がかかって面倒でした。

そこでCBR650Rでは、「サイドスタンドエンド」を取り付けてみました。結果、小さなストレスが一つ解消されましたので、オススメです。

 

■Dimotiv(ディモーティヴ)

CBR650R用のサイドスタンドエンドは、純正では用意されていません。取り合えずネットで検索してみたところ、CBR650Rに対応すると言う商品が幾つも見つかりましたが、知らないメーカーの物がほとんどで、品質が少し心配に・・・。

そんな中、CBR650R用には対応していませんが見覚えのあるメーカーがありました。ディモーティヴです。

dmv-jp.com

 

ディモーティヴは台湾のパーツメーカーで、以前ヤマハ車に乗っている時に、純正オプションパーツに採用されていました。ここなら信用できそうと思い、サイドスタンドエンドの対応車種を調べてみると、CBR650Rの前モデル・CBR650Fに対応していることが分かりました。

○ディモーティヴジャパン サイドスタンドエンド

http://734f8b7aa6be04a.lolipop.jp/dimotiv/html/sse/DI-SSE-HO-02.html

ホンダドリームに問い合わせたところ、CBR650RとCBR650Fのサイドスタンドは同じ部品を使用しているとのこと。つまりCBR650Rにも取り付けは可能と言うことになるので、ホンダドリームに取り寄せと取り付けを依頼しました。

 

■取り付け完了!

ホンダドリームからパーツが届いたと連絡があり、早速出向いて取り付けてもらいました。取り付けと言ってもネジで止めるだけなのですが、メンテナンス用のバイクスタンドを持っていない自分にはちょっと無理なので・・・。

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色は黒にしました

例えサイドスタンドの部品が共通でも、CBR650RとCBR650Fでは取り付け位置や角度に微妙な違いがあると思います。そのため、きちんと接地せず微妙に浮いたりしないか少し心配でした。でも特に問題はありませんでしたし、パーツの質感も高くて好印象です。

 

取り付け後、走りに出かけましたが、大抵の場所で地面を気にせず駐車できるようになりました。

サイドスタンドエンドの厚みは1cm弱あるので、駐車時の車体の傾きがこれまでよりも少し起き気味になりますが、自分としては大丈夫だと感じる範囲です。

 

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後日、走行後に少し浮かせて撮影

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汚れていますが接地面はこんな感じです

材質はアルミ合金とされ、塗装も良く、全体的にしっかりした作りのパーツという印象です。接地面には排水用の溝もあります。

ただ、走行中に路面からの振動に反応して時々カチャカチャと音が鳴ります。ホンダドリームに相談したところ、ネジを締めてもパーツ同士の間に隙間が残るとのことで、この辺りは数多くの車種に対応するパーツだけに仕方ないですね。今回はゴム板を挟んで隙間を埋めることで、解消してくれました。有難いです。

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サイドスタンドエンド 取り付け前

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サイドスタンドエンド 取り付け後

取り付け前と後の姿を比較すると、小さなパーツとは言え取り付け後はスマートさが若干落ちた気がします。しかしバッグも装着しているので今更ですし、メリットの方が大きく感じるため、取り付けて良かったと思いました。

 

※2022年3月16日追記

2022年2月にリニューアルされたディモーティヴジャパンの公式HPを確認すると、このサイドスタンドエンド(DI-SSE-HO-02)の適合車種に、CBR650RとCB650Rも追加されていました。

dmv-jp.com

 

修験者の湧水と紅葉の山寺(大阪府 河内長野市)

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汲みに行ける天然の湧水は各地にありますが、修験道の開祖・役行者が飲んで修行の疲れを癒したと言われる水が、河内長野市の山中に湧いています。行って実際に飲んでみたところ、とても美味しい水でした。

■山奥の湧水

グーグルマップを眺めていて偶然目に留まったのが「行者湧水直売所」。行者、つまり修験者を名に冠す湧水ということは由緒あるものではないかと興味を持ち、取り合えず行ってみることにしました。

この湧水の水汲み場は、大阪と奈良を結ぶ国道310号沿いの山中にあります。この道は金剛山地を南北に貫いていて、標高が上がるにつれ肌寒さが増していきます。もう11月も中旬を過ぎたので寒さを感じて当たり前なのですが、今年は残暑が長引いたので、改めて秋を感じながら走りました。そろそろグローブも、メッシュグローブから春秋用の物に戻さなくては・・・。

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里山の風景の中を走ります

 

■行者湧水直売所

道沿いの民家が途切れて山の中をしばらく走ると、水汲み場に到着しました。

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杉林の中です

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入口にある看板

直売所のホームページは無さそうですが、自治体のページで紹介されていました。

河内長野市の観光案内ページ

www.city.kawachinagano.lg.jp

水汲み場には蛇口が4か所あって、水が流れっぱなしになっています。勢いもあって、水量はかなり豊富なようです。

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水汲み場

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ポリタンクやボトルを置くためか、緑色のマットが敷かれていました

蛇口ごとに車を直付けできるよう、駐車スペースが設けられていました。つまり湧水を大量に汲んで持ち帰ることを前提とした作りになっている訳で、人気のほどを伺わせます。

汲みにきたお客さんたちは皆、複数の大型ポリタンクや大量の空きペットボトルを持参していました。料金は500円で汲み放題のため、たくさん汲んで帰るほどお得になりますね。

バイクだと大量に持ち帰ることは難しいので、今回は持参した1リットルサイズのペットボトル1本だけに汲みました。早速その場で飲んでみたところ、美味しい!! ひんやり冷たくて、さっぱりとした風味です。美味しさが体に染み渡るような感覚もありました。大量に汲んで帰るお客さんたちがいることにも納得です。(※個人の感想です)

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おいしい水でした

この行者湧水の名ですが、帰宅後に調べてみたところ、修験道の開祖・役行者がこの近辺の山で修行をする際に飲んでいた、という言い伝えからきているようです。後世の修験者たちも、おそらく同じ様に飲んでいたのでしょうね。

〇日本地下水学会誌 第55巻 第4号

www.jstage.jst.go.jp

 

水汲み場の横の建物は、料金を支払う給水受付と、休憩所になっています。休憩所に入ってみると、もうストーブが焚かれていました。

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休憩所 水汲み場の受付もあります

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休憩所内 ストーブには火が着いていました

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休憩所のテーブル上には落書帳が

机に落書き帳があったのでパラパラめくってみると、「こんにゃくが美味しかった」という旨の書き込みが幾つもありました。食べてみたいと思ったのですが、この休憩所では売っていないので、向かいの農産物直売所に行ってみました。

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併設の農産物直売所

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美味しそうな地元の産物が色々ありました

農産物直売所では、主に地元で採れた野菜が売られていました。

お店のかたにこんにゃくについて尋ねてみたところ、今年1月、こんにゃくを作っていらっしゃった女性が高齢を理由に引退したため、販売を終了したとのことでした。食べてみたかったのですが、仕方ないですね・・・。

 

■紅葉の山寺・観心寺

行者湧水を汲んだ後、同じく国道310号線沿いで山道を少し下ったところにあるお寺を訪ねてみることにしました。バイクで通り過ぎた時、大勢の人が参拝している様子が見えたからです。

駐車場の隅にバイクを駐輪し山門の方に歩いていくと、案内板がありました。

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案内板

見ると、ここは観心寺という奈良時代役小角(=役行者)によって開かれたお寺とのことでした。偶然ですが、連続して役行者にゆかりのある場所を訪ねたことになりました。

拝観料を払って境内に入ると、紅葉が色づき始めていました。大勢の参拝客は、たぶん紅葉を見に来たのだと思います。

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観心寺

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紅葉が始まっていました

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本堂にお参りしました

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本堂側から 参拝客が大勢いました

役行者はここ金剛山地の南麓に位置する現在の奈良県御所市に生まれ、金剛山地で修行を始めて修験道を築き上げていったそうです。そうした歴史の恩恵で、この日は美味しい湧水と美しい紅葉に巡り合うことができました。

特に湧水は美味しかったので、これを機に、関西の湧水巡りを始めてみても面白いかな?と思いました。

タナックスのミニフィールドシートバッグを装着

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シートバッグは様々ありますが、装着しているのをよく見かけるのがこのバッグです。ある程度の容量がありつつ小ぶりなサイズ感がCBR650Rにも合いそうだと思い、購入してみました。

製品の特長は公式ページに詳しく載っていますので、ここではCBR650Rに装着したサイズ感を写真で紹介したいと思います。購入を検討しているCBR650Rユーザーの参考になれば幸いです。

 

〇タナックス公式ページ

TANAX:MFK-100ミニフィールドシートバッグ

 

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左前方から見た全体の様子

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同じく左後方から

全体的なシルエットとしては、大きすぎないギリギリのサイズかな?という印象です。

バッグの高さが約20cmあり、リアのシートとカウルが跳ね上がった形状のため、このバッグを装着した状態で乗り降りする際は、右足をその分高く上げる必要があります。

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色は無難な黒にしました

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右後方から。アップで写すと実際より大きめに見えますね

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バッグ本体の幅はリアシートとほぼ同じです

バッグの装着作業は、リアシートを外して固定ベルト(Kシステムベルト)を挟み込むだけなので、簡単でした。

CBR650Rに装着すると見た目がどのようになるのか少し不安でしたが、幅はピッタリでしたし、高さも個人的には許容範囲なので、購入して良かったと思います。ボディバッグやリュックサックより操縦感覚への影響が少ないのも、シートバッグのメリットですよね。

これでようやく、出先で色々買って帰れるようになりました。

開催まで3年半 大阪・関西万博 開催地の今(大阪市)

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10月に入っても続いていた残暑がようやく終わり、一気に秋らしくなりました。あまりの猛暑にバイクで出かけることを(近所以外は)ずっと控えていましたが、これでやっと再開できます。

さて、今回出かけた先は、大阪港にある人工島・夢洲(ゆめしま)。3年半後に大阪・関西万博が開かれる場所です。今月に入り、アラブ首長国連邦でドバイ万博が始まったというニュースを目にして、次の2025年の開催地・大阪は今どんな状態なのか、見てみたくなったのです。

 

<ドバイ万博 日本館 公式サイト>

expo2020-dubai.go.jp

 

夢洲(ゆめしま)へのアクセス

 

夢洲へ行くには舞洲(まいしま)から夢舞大橋を渡るか、咲洲(さきしま)から夢咲トンネルを通って入ります。どちらも歩道は無さそうで、徒歩で訪れることは難しいようです。

この夢洲は1977年から埋め立て工事が始まり、1988年に策定された「テクノポート大阪」計画によって、隣接する人工島・舞洲咲洲とともに大阪の臨海新都心となるべく開発される予定でしたが、バブル崩壊とその後の景気低迷でまちづくりは頓挫。夢洲で整備できた施設はコンテナターミナルだけで、島は「負の遺産」と化していたようです。

しかし広大な空き地を逆手に取って万博の開催地になったことと、IR(カジノやホテルなどからなる統合型リゾート)の誘致を行っていることから、再び脚光を浴びるようになりました。

 

■大阪・関西万博について

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引用元:2025日本国際博覧会招致委員会 公式サイト

名称:2025年日本国際博覧会

略称:大阪・関西万博

テーマ:いのち輝く未来社会のデザイン

開催期間:4月~10月

来場者数:2820万人を想定。

経済波及効果:約2兆円と試算

 

<2025年日本国際博覧会協会 公式サイト>

www.expo2025.or.jp

 

夢洲の今

夢洲に入るには夢咲トンネルを使いました。トンネルを抜けると道はそのまま島内のメインストリートになり、右手(東側)にはコンテナターミナルが、左手(西側)には荒涼とした埋立地が広がっていました。

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メインストリート西側の様子

トンネルを抜けて少し走ると、このようなプレハブの事務所が現れます。工事を請け負っているジョイントベンチャーのものです。

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JVのプレハブ事務所

看板によると、今は土地の造成中。まだ公式サイトでパビリオンの出展募集が掲載されている段階ですから、本格的な開発はまだまだこれからですね。

フェンスの向こうに広がる埋立地に入るゲートは工事関係車両しか出入りできないようなので、一般道で行けるところまで行ってみました。

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一般車両が行ける一番奥

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殺風景そのものですが、晴れていたのが救いです

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見えづらいですが、遠くでショベルカーなど多くの重機が作業中でした

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向こうに見えるのは神戸市の六甲山系

今は土砂ばかりの風景ですが、招致段階のイメージ図ではこのような予想になっています。

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引用元:2025日本国際博覧会招致委員会 公式サイト

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引用元:2025日本国際博覧会招致委員会 公式サイト

開催決定後の今は、2025年日本国際博覧会協会がプロモーション動画を公開中。イメージ図が少し変更されています。

 

今も語り継がれる1970年の大阪万博の開催時とは時代も環境も異なりますが、開催される以上は、無事に成功することを祈りたいですね。

 

夢洲唯一の商業施設

いま夢洲にある施設は、コンテナターミナルと工事関係を除くと、セブンイレブンが1軒あるだけ。砂漠の中のオアシスのような存在です。

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セブンイレブン大阪夢洲

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店舗前に普通車用の駐車場

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更に大型車用の駐車場もあり満車状態でした

セブンイレブンで少し休憩している間に、スポーツバイクやスポーツカーなど走りが好きそうな車両が何台もこの駐車場を利用していきました。夢洲を経由すると位置的にどこへ行くにも遠回りになってしまうはずなので、走りを楽しむため市内を流しているのだろうと思います。ちょうど良い休憩ポイントになっているのでしょうね。

 

■3年半後と、その先は・・・

夢洲内を見終わったので、対岸にある舞洲から夢洲を見ようと思い、夢舞大橋を渡って舞洲シーサイドプロムナードに移動しました。

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プロムナードから見た夢舞大橋

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プロムナードから見た夢洲

今はまだ荒涼とした埋め立て地の風景ですが、3年半後には万博会場が完成し、景色は一変するでしょう。更に、巨大なIRもできるかもしれません。

万博開催やIR誘致に対しては、様々な観点から是非や賛否など多くの意見が出されているのも事実です。

ゴミや建設土砂で海を埋め立て造りあげた人工島・夢洲

大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」ですが、開催地である夢洲の未来は果たして・・・。

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